「独断、独奏」9/28
2018年 09月 30日
9月28日四谷茶会記の「独断、独奏」を終えて。
私は、サックスを演奏する時の感覚として
サックスを自分とその周りの世界をつなぐ道具として捉えている
ところがあります。
この楽器は、息を吹き入れることで音が発生しますが
鳴る瞬間の出来事は、アンブッシャー(くわえかた)で決まり
その状態によって、音の響き方の質が大きく変化します。
音が出た瞬間に、”今、この場所”との関係がはじまります。音を出す少し前のインスピレーションからへたイメージと、実際に出た音とのズレを調整しつつ、その瞬間のリアルな行為を続けること、そしてその時の創造的な気持ちを出来る限り持ち続けること。そのことがテーマとしてありました。
生み出した音は外の空間に響き、観客と共にその音を共有します。
この時、その延長線上の音を想像しようと演奏を続けると、あるイメージの音の空間を作ろうとする別の演奏行為へ移ってしまいます。”瞬間のリアルな行為と繋がる“ための自分と楽器の接点への意識が薄れていきます。結果的に外の基準におもねることになり、そのことは演奏のポイントにしていました。
またその反面、真逆の思考で自分を意識しすぎないという観点も自分の中に持つことを意識しています。相手、外側との境界をぼんやりと感じ流れに身をまかせ、自分が創造の道具となり、インスピレーションを感受し、身体が通り道となって排泄するそんな表現もイメージとして持ちました。
この表現をするためには場を整えた方がよいと思い、店主に雑巾をお借りして、会場の床や椅子の掃除をしたり、服装もいつもよりも考えて、1回目のステージは正装で、2回目は、シンプルな上下に裸足にしました。演奏の最後に少しだけ、知人に書いた曲、そして最近、詩に興味を持ったことから、ある人の詩から作った曲を演奏して、ライブを終了しました。
わがままなタイトルですが、自分の基準をもってとことん演奏することを考えこのタイトルにしてみました。
次回は、その逆のチャレンジもしてみたいと思います。
出した音の響きを共有して、その音が向かう方向に、とことん身を委ねてみるのもよいのかもしれません。