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マウスピースのこと

本日は梅雨の雨が降りしきる中、
久しぶりに横須賀の大堀さんの所に
マウスピースの調整に出かけてきました。

 大堀さんのところでマウスピースを作ってもらって
から5、6年たったと思います。
 前回リフェイスしてから2年以上がたちました。

 大堀サックス研究所、ここは大堀さん親子が完全ハンドメイドで
一から奏者のニーズに合わせて様々なタイプのマウスピース
を製作していて、そのマウスピースは日本の多くのトッププレーヤー
に使われています。
 
 私は、ベースのエンドピンを自作で作り
その材質の違いでベースの鳴りをまったく変えたりする
ベースの田嶋真佐雄さんに紹介してもらいました。
彼なら、一からマウスピースを作るような人を
知っているのではないかと。
こういう感を働かせるのはいい自分です。
 
 オリジナルのマウスピースを制作している所は
世界中、日本にもいくつかありますが
大堀サックス研究所の特徴としては、その名が示す通り
サックスの研究所として様々な演奏家のニーズ
に合わせた制作をする点です。
 制作過程のコンセプトはありつつ
大堀さんの限定したサウンド、カラーへのこだわり
は、マウスピースには盛り込まれません。

 私の場合は、長年デューイ・レッドマン
のサウンドがサックスの音のイメージにあり
彼にも直接NYのご自宅で指導を受けた経験もあり
サックスの音のイメージを私なりにつかんでいたので
そのバランスがつかめる道具を探していました。

 デューイのサウンドをイメージして、
自分の身体、顔、顎の形状と向き合い
現行のモデルで対応してきましたが
世界的な即興演奏家の齋藤徹さんのベースと
共演することになったときに彼の出す
究極のエッジから放たれる音と対面したときに
自分の今まで持ち合わせた範囲に限界を感じ
自分の道具を一から見直して見ようと
思ったのがきっかけにありました。

 そんなときに田嶋さんと出会い
大堀サックス研究所に向かいました。

研究所には何度も通い微調整に
付き合っていただき究極のマウスピースが
出来あがっていきました。

 今までなんでlあんなに苦労して自分の求める
音に向かって四苦八苦していたのだろうと。

 さて自分に合うマウスピースを手に入れると
よりサックスの音の深いところへ
入りこんで行くことになりそうろう。

 そうこうし数年、新しいマウスピースを
使い演奏活動を続けてみると、自分も
変化し道具に求めるものも変わってきて
以前よりもクリアーに欲しい箇所(マウスピースの)
がわかるようになり、今回は2年以上ぶりに
経年の磨耗でバランスが悪くなったフェイシングの調整
かたわら今マウスピースに求めているものが
このマウスピースの調整で可能かどうか
も含めて伺いました。

 2年以上のブランクの間には
様々な出来事があり、そのなかでこのコロナがあり
長らく研究所もお休みしていましたが、ようやくの
再開、久しぶりの再会を喜びあうも早々に
マウスピース談議、やっぱりサックスきちがいだなあと笑。

 マウスピースを見てもらうとかなり
フェイシングが削れているようでした。
フェイシングは大堀さんのお父さんが担当します。
 まずはテナーサックスのマウスピースをリフェイス
してもらいながら、マウスピースの鳴りのことについて話すと
大堀さん親子でそのことについて相談をし解決策を見出して
くれました。

 さて今回の私のマウスピースへのリクエストは
2本あるテナーのマウスピース(大堀ハンドメイド)の
それぞれのタイプを、両方行で歩みよって
もらうことでした。
 話すと専門的で難しいことになのですが
興味のある方もいらっしゃると思うので
話してみたいと思います。

 私がメインに使っているテナーサックス
のマウスピースのタイプは、量産品メーカー
に当てはめるとハードラバー製のベルグラーセン、
オットリンク、セルマーの三社のマウスピースを
掛け合わせたようなタイプです。
 菅体への鳴り方は、マウスピースで鳴った
音が管体内でとどまりベルから飛び出さない
バランスです。アタックははっきりと出せるが、
その時のタッチの表情、そのコントロールができる
ようなフェイシングの作りとなっています。

 もう一本のサブのテナーのマウスピースは
即興演奏用に特化したものとして作ってもらい。
 先程上げた3社のマウスピースにブリルハートを
混ぜたイメージです。マウスピースの鳴りは、
ネックから感じとれて、それが管体内部に
とどまり様々な音を作り出すようなイメージです。

 近年はフリージャズのオーネット・コールマンに
興味があり、彼の音楽に取り組んでいますが
彼のサックスのサウンドがもつ独自性に注目しています。
 そのハッキリしたアタックとそれに伴うノイジーな
サウンドとサックスの持つ独自の膨らみのあるサウンド
それらがあわせ持つ響きは、まるでブルース歌手の歌の
ように感じます。

 これらの要素が合わさった音の表現を考えると、
サックスのみならず楽器全般につなげて言える
おもいますが、タッチがクリアーになる=細い音
(音離れが早く、雑味がなく、深い響きがない)、
傾向がある。タッチがでて深い音がでる=ピッチがとりにくい、
取り回しが悪くなり扱いにくいバランス)となる
傾向がある。

 その両方のバランスがとれると、よりブルース
歌手のような音の表現が可能になると自分では想像してみています。

 そんな想いで大堀さんに2本のマウスピースを
それぞれが近寄るような調整ができないものかと
リクエストしてみました。

 結果はもうもう完璧、吹いた瞬間にテンションが上がりました!
まさか自分が求めているバランスのマウスピースが、今まさに
手に入れることが出来るとは!
それも手持ちのマウスピースの調整でできてしまうとは!
ミラクル、アンビリーバブル

 さあ今日はソプラノサックスのマウスピースの調整もありました。

このマウスピースは、以前大堀さんの所に伺ったときに出会った。
大堀さんはその時々で制作途中のマウスピースを机の上に
並べてあるのですが「かみむらさん、こんなマウスピース
ありますが吹いてみません?」と勧められたと記憶しています。

 このマウスピースは、古いデキシーランド風の音と
いったらよいでしょうか?
作りは、ごろっとしていて中はぐりっと空いています。
とても豊かな音の響きがするのですが高音域の
あたりが悪い。コントロールしにくいが、音はいい。
 先程、テナーのマウスピースのところで話した
タイプの後者のマウスピースといってよいです。
 
 今回お願いしたのは、このマウスピースの
サウンドはそのままに、高音域があたる
ようにというリクエストでした。

 こちらも見事な調整で、ミラクルな着地。
多分、ほんの少し間違って削ったらアウトな感じでしょう。
希望通りの音が出来るマウスピースにみごとに変身を果たし
わたしが少々限界を感じていたヤマハ62のソプラノサックスも
息を吹き替えし、あらたな域へ未来へともに向かう
決心を新たにいたした次第です。
 
 マウスピースは、サックスの演奏上
様々な問題を解決してくれる大きな箇所、エンジンで
そのことをよく理解している職人の手にかかると、
演奏の問題点を解決してくれることにもつながります。

 もちろんいつもこんなにパーフェクトに
すんなりとはいかないでしょう。
 
 それは定型がありそうでない
微妙なところの面白さを受け止めて
その差異を殺さない感性を持って
取り組んでいるからです。

 人間の感覚、想像力を総動員し
向き合う作業には、一筋縄ではいかず
失敗もしかりです。

しかしこのマウスピース、サックスへの情熱
愛ある人たちが精一杯、面白がり向き合って
共にああでもない、こうでもないと作業し
音を聞き合う中には、他では得られ
ない大切なものが、富士山のごとく詰まっています。

 ご興味のある方は、ぜひ一度大堀サックス研究所に
尋ねてみてはいかがでしょうか?

https://blue.ap.teacup.com/oohorisaxlab/
Blogトップに問い合わせメルアドあります。

かみむら

# by taimusic | 2020-06-20 00:04 | 音楽

2年前に考えたこと。

 今を整理するために、2年前に音の講座や自分の演奏について考えていたことをUpします。
 当時、茶会記から、茶会記に出演している人たちのステイトメントを頼まれたときに考えた文章の草案です。

 今はもう少しジャズの言語としての音符へ意識が向いていて、実際の言葉を使うことと、音の言語的なところとの関係に興味があります。


以下2017年に書いたものです。


 本来私たちが持っている音を”聞きとる能力”が、現代の管理され整備された社会の中で生活をする中で、音に対してそんなに気を使わなくても快適な生活を送れるようになったために、注意深く音を聞く必要が無くなり、音に対して注意をむけなくなってしまった。私たちの聴くという聴覚の能力は、自分の意識を目覚めさせるのにもとても有効な器官で、今自分がココにいることを音で理解し、自分を取り囲む周囲の音を聞き把握することは、心のバランスを取り直すことにも繋がります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ステートメント1(茶会記への草案)


ショーロは”思い出すための音楽”ジャズは”忘れるための音楽”by齋藤徹。ジャズの演奏では、テーマの後にソロをとり、そこではその先を新しく作りだすイメージや、そのような先入観にとらわれて演奏していたりすることがありますが、私はそこで何か新しいことを演奏するよりも、曲の中にすでにある響きを演奏したい。新しい何かを作りだすのではなく、すでにそこにあるであろう響きに耳を澄ませ、身体の中に記憶しているその響きを探すそんな行為も演奏となりえるのではないか?そのとき自分がよりナチュラルであればその音は自分の身体を通じて自然に出てくるのかもしれません。


 "音楽は音、サウンドがすべて"by Dewey Redman。私はかれこれサックスのサウンドに取り組むようになって30年近く経ちます。息でリードが振動するサックスは、その音の発信部であるリードが固定されているマウスピースをどのように支えるかにかかってきます。アンブッシャのコントロールという部分です。音は空間に響きますがその音質はアンブッシャ次第です。ある時、自分の身体のハンディーに気づき、それでもサックスを吹くからには、そのハンディーを受け止めて演奏活動をしていかなければならないと思い至ります。顎の噛み合わせが悪いのです。演奏をはじめたときに自分と場の空間との間に、たえず不安定な要素をもつアンブッシャが横たわっている状態で、演奏が始まってから終わりまで、責任をもって演奏する。そのときに響いている自分の音を聞きとる感性を信じて、ときにはその感性も疑い検証をしながら、自分の耳を信じて演奏する。その時に自分の音も含めた空間に響く音の総体、それが音楽だと思っています。規定された音楽の譜面、その種類やその構造の縛りや範囲を含めても、私の音楽表現は、その音全体の響きを捉えるところから始まります。


 私は1964年、新人類世代と呼ばれる時代にうまれました。社会に対して何の疑問も持たずに東京で過ごし、20歳でジャズサックスプレーヤーとして演奏活動をはじめます。昭和のよき時代に生まれましたが、もっと社会問題にも関心を持つような環境があればよかったと思います。学校でも家庭でもそういう環境はなかった。20代中頃にスピリチュアリズムの本を読み、現代美術に興味を持ち、画家が描く画面との接点で立ち現れる線や質感にワクワクし、物と空間の様々な関係性の中から立ち現れる表現に触れ、表現について改めて考えさせられました。 音楽と美術を重ねて思考するようになったのもそのころからです。音は空間に響きます。響きは自分にもどってきて語りかけてきます。耳を澄ませ音の進む方向に身を委ねると、薄明かりの中からやっと聞こえる歌の断片が見え隠れします。日常の雑踏の中にもそのような断片がみえかくれしています。2011年3月11日、大きな強震とともに、それまで自分が信じていたものが崩れさり、続く揺れの中で感じた無数の断片は今でも忘れられません。断片としての記憶。様々なサウンドスケープが奏でる日常の音たち。


 前世期初めに民族音楽として生まれたジャズは、とても分かり易い形式をもとに、日常会話のようにミュージシャン同士が音で会話を楽しみ、様々な人が関わることができる、幅をもった音楽で、いまでは世界中の都市で演奏されていますが、もっと今の時代にあったやり方があるのではないかと思っています。何か新しい形式、方法はないか。それはいままでジャズが発展するなかで必要だった自己表現という音楽からもう一歩進んだところでの音楽の表現、それはどんな方法なのか?そしてそこには”言葉”がなにかしら関係することで、より具体的になるように思っています。

分裂した自己と他者としての社会との関係性の中で、自己をみつけるしかない時代に、わざわざつまらない自己主張をしなくてもいい。分裂した自分の一部が主張しているだけなのだから。いい音楽が生まれる場に立ちあえれば、それだけで私はいい。


# by taimusic | 2019-01-20 03:46 | 日記

「独断、独奏」9/28

9月28日四谷茶会記の「独断、独奏」を終えて。

 私は、サックスを演奏する時の感覚として

サックスを自分とその周りの世界をつなぐ道具として捉えている

ところがあります。

この楽器は、息を吹き入れることで音が発生しますが

鳴る瞬間の出来事は、アンブッシャー(くわえかた)で決まり

その状態によって、音の響き方の質が大きく変化します。


 音が出た瞬間に、”今、この場所”との関係がはじまります。音を出す少し前のインスピレーションからへたイメージと、実際に出た音とのズレを調整しつつ、その瞬間のリアルな行為を続けること、そしてその時の創造的な気持ちを出来る限り持ち続けること。そのことがテーマとしてありました。


 生み出した音は外の空間に響き、観客と共にその音を共有します。

この時、その延長線上の音を想像しようと演奏を続けると、あるイメージの音の空間を作ろうとする別の演奏行為へ移ってしまいます。”瞬間のリアルな行為と繋がる“ための自分と楽器の接点への意識が薄れていきます。結果的に外の基準におもねることになり、そのことは演奏のポイントにしていました。

 またその反面、真逆の思考で自分を意識しすぎないという観点も自分の中に持つことを意識しています。相手、外側との境界をぼんやりと感じ流れに身をまかせ、自分が創造の道具となり、インスピレーションを感受し、身体が通り道となって排泄するそんな表現もイメージとして持ちました。


この表現をするためには場を整えた方がよいと思い、店主に雑巾をお借りして、会場の床や椅子の掃除をしたり、服装もいつもよりも考えて、1回目のステージは正装で、2回目は、シンプルな上下に裸足にしました。演奏の最後に少しだけ、知人に書いた曲、そして最近、詩に興味を持ったことから、ある人の詩から作った曲を演奏して、ライブを終了しました。


 わがままなタイトルですが、自分の基準をもってとことん演奏することを考えこのタイトルにしてみました。

 

次回は、その逆のチャレンジもしてみたいと思います。

 出した音の響きを共有して、その音が向かう方向に、とことん身を委ねてみるのもよいのかもしれません。

 



# by taimusic | 2018-09-30 20:23 | ライブ
 是安則克さんを偲ぶ。

 初めて是安則克さんと出会ったのは、今から30年前、数字を書くと随分と月日が過ぎたなあと
感じますが、感覚的にはついこの間のような気もします。

 私がジャズドラマーのジョージ大塚さんのバンドをやめた頃に、前後してジョージさんと共演をしていたジャズピアニストの大給桜子さんに声をかけていただき、吉祥寺のサムタイムに出演したのが是安さんと知り合った始まりでした。大給さんと是安さんと私の3人で、スタンダードや当時、ミッシェル・ペドルチアニが注目されていた頃で、その辺りの曲を演奏してました。残念ながら4ヶ月ほどでクビとなり、その後に是安さんと再会したのは、私がアメリカ留学から帰国して5、6年経ってからでした。
 当時の私は、デューイ・レッドマンにハマっていて、デューイの音楽を通じてオーネット・コールマンのフリーなジャズも知っていましたが、音楽的にはまだまだジョージさんの所で学んだスイングして歌うスタイルで演奏していたので、是安さんのベースの本当のよさは当時の私にはよく解らないで演奏していたと思います。当時の私は生意気で「変わったフィーリングのベーシストだなあ」と思いながら共演していて、その時の是安さんのベースから感じたチャーリー・ヘイデンの印象が残っていて、後に共演をお願いすることになります。

 毎回、ライブで会うと「おう!」と凄みのある声で声をかけてくれて、後はほとんど話をした記憶がありません。
それでも是安さんの言葉で記憶に残っているのは「お前は、思ったように演奏すりゃいいんだよ」のような、、ちょっとニュアンスが違うなあ、
何かそのような内容のことを言ってくれたように記憶しています。
 後でこの時期の是安さんはお酒で大変だったと人から聞き、そうだったかと当時の是安さんを思いうかべます。吉祥寺のサムタイムは地下にあり、階段を降り薄暗い店内に入ると、すぐ左にテーブルがあり、そこに物静かに、でも凄みのある是安さんが座っていたのを思い浮かべます。やはり今思い返してもかっこ良かったな。

 私がアメリカ生活を終え帰国し、自分のバンドを組んでオリジナルを演奏していた頃、いつもイメージにあったのがチャーリー・ヘイデンのベースでした。それは当時、影響を受けていた2000年前後のNYのダウンタウンシーンの彼らの音楽のベースに、オーネットから通じるジャズのエッセンスを感じていて、チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアン、デューイ・レッドマン、ビリー・ヒギンズ、、かれらが、様々な形で当時のジャズシーンに影響を及ぼしていたものが、NYのダウンタウンの若い世代のジャズシーンにも影響をあたえていて、それがバックグラウンドになっているように感じていました。
 私がいままで東京で演奏活動してきて、ヘイデン好きなベーシストはいても、そのような音楽性を持ったベースを弾ける人は、当時の自分の周りにはいなくて、唯一そのようなベーシストを弾いていたのが、是安さんでした。
 そんな是安さんとの共演の記憶をたどり、知人のミュージシャンを頼り、是安さんの連絡先を知っている人を探しました。
その過程で、当時お酒で大変だったこと、その後の病気から克服されたことを聞き、もしかしたら当時の記憶は残っていないかもしれないという話も聞き、そんな中で是安さんに電話をかけてみました。
 電話に出た是安さんは、当時のことを覚えていてくれて、あの気さくな是安さんの話し方で、話をしてくれたように、記憶しています。
 共演をお願いするにあたり、自分が活動している小さなお店で演奏してくれるだろうかと不安でしたが、快く共演を承諾してくれて、本当に嬉しかったです。
 是安さんとの再共演が、ここからスタートします。
 当時、自分の音楽は自分のサウンドで表現しなければと考えていて、自分のイメージした響きで、ひたすら演奏していました。最初のうち是安さんは、様子を伺っていましたが、そのうちに是安さんの中で「解った」と思ったのか、それからは演奏中、ベースで「これはどうよ!、それってどうなの」というような問いかけが、音の中に聞こえてきて、それからは、問いかける是安さんと向き合う演奏になっていきました。この体験は、自分の音楽活動の中でとても大きな体験となり、それまでそんな問いかけを音楽の中でしてくる共演者は、いなかったのです。
 是安さんが音楽を演奏するということは、音での会話で、理想の音の響きを追い求めることも大切だが、ジャズ(ジャズという枠のみにはめることはないですが)は、音での会話ということを音で示してくれました。

 是安さんはいつもベースの響きのことを考えていて、それは単に自分の出したいベースの響きというだけではなく、共演者との間、場所の響きを含め音楽全体として是安さんがほしいベースの音を探していて、演奏前、ステージの間の休憩中など、アンプの上に乗せたイコライザーをずっと調整していました。
 大抵、演奏が進むに連れて,音の環境が良くなっていき、それぞれの音がよく聞こえ,なおかつアグレッシブな部分も生きる場になっていました。
 時々、ベースアンプやイコライザーも変えていて、ベースの音にまつわる道具を日々、研究していたことを思いかえします。

 是安さんと再演することで、自分が求めていた音楽を演奏できるようになったことのみならず、演奏で向き合うことを教えていただき、そのことがアメリカに向いていた音楽の意識から、日本ならではの、今ここで生まれる音楽を演奏する、そういう方向性に転換する大きなきっかけになりました。
 その後自分のバンドは、コードレス編成になり、ドラムの橋本学くんと3人で新宿ピットインや横浜エアジン、稲毛Candyなどで活動していきます。この3人に唯一加わって演奏したのはピアニストの浜村昌子さんとスイス人ピアニストのクリス・ウィーゼンダンガーさんでした。
 
 2011年に、是安さんが他界し、そのロスは大きかったです。是安さんの代わりになるベーシストはいなくて、是安ロスに陥ったミュージシャンは沢山いました。
 最後の頃には、音楽的な相談も聞いてくれたり、加藤さんやシューミーさんとの出会いも、是安さんが「シューミーの歌を聴いてみ!凄いから」と勧めてくれて、聞きにいったことがきっかけでした。
 
 巡る月日の中で、変わらぬ印象とそれが深まっていくこともあるとこの文章をかきながら感じています。

合掌!!

2018年9月23日是安則克氏、命日。
ベーシスト 是安則克さんの回想_b0174238_05404885.jpg

かみむら泰一


# by taimusic | 2018-09-24 05:34 | 音楽

Mr. Dewey Redman.

# by taimusic | 2018-09-22 03:13 | 日記